貪欲なシンプリストの幸福論

欲張りだけど生き方はシンプルに。そんなワタシが幸せについて考えたいと思う

「男みたい」と言われるけど、何それ!?Domani炎上から見えてくる日本のジェンダー観

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どうも、今日はちょっと世相がらみのお話がしたい、貪欲なシンプリストのシュカです。

 

ちょっと過去の話になってしまいますが、小学館の雑誌”Domani”の広告が炎上したことがありましたよね。

 

blogos.com

 

matomedane.jp

 

普段男女を問わず「男っぽいね」と言われることの多い貪欲なシンプリストのシュカですが、昨年秋頃からジェンダーの勉強会に参加し始めて色々考えさせられることの多くなったため、こういう話にも立ち止まって考えるようになりました。

 

Domani(ドマーニ) 2019年 02 月号 [雑誌]

Domani(ドマーニ) 2019年 02 月号 [雑誌]

 

 

Domaniは30〜40代のワーキングマザーを対象にしたファッション雑誌です。

ファッションの傾向はコンサバということです。

(私自身あまりファッション雑誌を読まないので、リサーチした内容の伝聞でしか表現できません)

 

さて、そんな今を時めくアラサー、アラフォー女性向けの雑誌が何故炎上したのかというと、

 

2月28日発売の最新号の宣伝広告(東京メトロ表参道駅掲載)に問題があったというのです。

 

「今さらモテても迷惑なだけ。」

 

「忙しくても、ママ感出してかない!」

「中途半端なイクメンなら、むしろワンオペのほうが100倍楽。」

「”ママに見えない”が最高のほめ言葉♡」

「ちょっと不良なママでごめんね♡」

「助手席でなくて運転席の女でいたい」

「えっ!?お子さんいらっしゃるんですか!?」

「”〇〇ちゃんのママ”、本日、休業中」

「(正直、ママ友同士のつきあいが苦手…。)」

「働く女は、結局中身、オスである。」

「ママは天使じゃない!?」

 

 

アラフォー女性ということでは我が身も同じとは言うものの、私結婚してないし、子供もいないのでリアルな経験がないのですが、編集室にはワーママさんたちもいらっしゃるようで、そんな本音が表出したキャッチなのかな、とも思います。

 

が、問題はこちらの一行。

 

「働く女は、結局中身、オスである。」

 

これにはかなり批判も殺到しているようですね。

私自身も、この表現には引っかかりを覚えます。

 

小学館Domaniの広告が炎上。「働く女は、結局中身、オスである」「今さらモテても迷惑なだけ」女性差別だと話題に │ オノマトペ – 毎日少しの好奇心を

 

 

なぜかというと、私自身も冒頭で言った通り「男っぽい」と言われることが多いから。

私はそれを感情的なまでに怒り狂ってるわけではないですが、その言葉にせよ、今回の「働く女=オス」にせよ、その言葉が意味する先に、足枷的に日本社会に根強く残るジェンダー観念が見えてくるのです。

 

 

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ていうか、私別にオスになってるわけじゃないから。 私は私らしく生きているだけだから。



色々ツイッターなどで呟かれている通り、異性の評価によって決まる自己価値=アイデンティティという図式が浮き彫りになるからです。

 

モテ服だの、女子力、男子力だのなんだの人間っていうのはそんな単純な一言でカテゴライズされるものじゃないので。

 

自分らしさを大事にしていると「男っぽい」とか「女らしくない」「女子力低い」とか、男性に関しても「男らしくない」とか「男なら・・・」と言われることがあり、理不尽な思いをされた方々も多々いらっしゃることと思います。

 

男女平等、雇用機会均等、選挙権・・・戦後から比べたら社会は進んだように見えますが、日本にはいまだに旧式めいた固定観念が浸透している、というのには正直怒りを通り越して呆れて物が言えない。

ていうか、それが日本のマーケティング手法になっていることにも脱力です。

(とっくの昔に私は一抜けしましたが)

 

このDomani炎上を通して、Domani編集部や出版社の責任というのもある程度は問われるべきなんでしょうが、同時にそこから見える社会に残る根強いジェンダー固定観念にも注目して、それに対してNOと言い、意識改革していくことが必要だと思います。

 

もちろん、今までのあり方の方がしっくりくると言う人もいるでしょうし、そう言う人のあり方を頭ごなしに批判するつもりはありません。でも、旧態依然とした固定観念で居心地の悪さだったり、尊厳が傷つけられてしまうケースもあるので、そこは看過できないのでは。

 

その場合にはどちらか一方の性別が対象になるのではなく、男女LGBTQという包括的な枠組みでジェンダーについて語っていく姿勢は忘れてはいけないと思います。

 

ポリティカルコレクトネスが厳しくなると、以前のように気軽に発言ができなくなるので、言論・表現の自由が制限されるという批判もあるのでしょうが、それ以前に誰かを傷つける発言が許されるべきではないはず。言論・表現の自由というのは、どの世の中にせよ、倫理を守ってなんぼですからね

 

それでもいいな、と思ったことは、先日のSpaの女子大生がらみの記事だったり、医大入試にかかる女子学生の扱いだったりに、黙することなく声を上げ、それが注目されるように日本社会も変化してきたことでしょうか。

 

toyokeizai.net

 

www.businessinsider.jp

 

www.nikkei.com

 

どの話も掘り下げていくと色々な要素が絡んでいたりするので、単純な議論はできないのでしょうが、単なるネタであるとか、友人知人とのお茶話で終えるのではなく、同じ志の人と集まって当事者に話しに行く、相談に行く、またはこういうSNSハッシュタグ付きで投稿するとかして、何らかの行動を起こしていくことが大事なんだと思う今日この頃。

 

先週金曜は国際女性デー(International Women's Day)ということで、私はマーチには参加しませんでしたが、これをきっかけに貪欲なシンプリストも関連する話を呟かせていただきました。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

#Domani #Domani炎上#ジェンダー#国際女性デー#働く女はオスであるはおかしい

 

  

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