貪欲なシンプリストの幸福論

欲張りだけど生き方はシンプルに。そんなワタシが幸せについて考えたいと思う

終末期の母の介護をしたからこそ得られたモノがある

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こんばんは、貪欲なシンプリストです。

 

今回はちょっと珍しく、介護ネタでお話ししようかと思います。

 

何度か呟いてますが、貪欲なシンプリストはおよそ1年半前に母を亡くしています。

 

母は更年期障害を長く拗らせていた上に、晩年は遺伝子変異性の肺がん(喫煙者でなくてもかかるガン)で余命数ヶ月宣告を受けてから、2年ほどの介助生活を経て他界しました。

 

母は60代前半で亡くなったので、高齢者介護とはまたニュアンスが異なりますが、とにかく30代にして家族の介護を経験したことに違いはなく、今後同じようなケースもたくさん生まれてくると思うので、ご参考になればと思います。

 

 

介護までのいきさつ

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実を言うとワタシは20代の頃から介護と仕事を両立する生活を送ってきました。

母はワタシが10代後半の頃から更年期障害をこじらせ、寝付くことが増え、20代中盤には布団の上にほぼ9割いる生活をしていました。

 

ずっと海外で仕事をしたかったので、それが叶わない上に、フルタイム勤務が難しく自立もままならない身の上を恨んだこともあるし、怒りをぶつけたこともあります。一番重たくのしかかったのは、「この状態、いつまで続くんだろう?」という言い知れぬ不安でした。

 

 その後父が定年退職をしたことで、介護役のバトンタッチが叶い、晴れてワタシも念願の海外へ。その間、母はかなり快方に向かったのですが、ワタシの帰国後冒頭の通り末期ガンによる余命宣告を受けました。

 

幸い母に合う薬があったので、実際に他界するまでには2年ほど長く生きることができましたが、その2年間は介護という、現在の日本が抱えるイシューを体感する日々がスタートしました。

 

とはいえ、そのうち1年間は母も比較的元気で自立していたので、介護を父に任せて再び海外へ。そして帰国後、いよいよ衰弱が始まり、父と二人三脚で終末期の母の介護を進めることになりました。

 

そして数カ月後に母は他界したのですが、一連の「介護」経験から得たものについて、最近改めて考えることが多くなりました。

 

人生にはキャリア以上に大事なコトがある

終末期の介護の際に、諸事情あってワタシは無職状態になりました。働き盛りの時期にキャリアがストップするのは、経済的にも精神的にもきついものがあります。

 

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だけど、今となって思うのは「長い人生仕事だけじゃないだろ!」ってことですかね。

 

誰しも仕事ではない何かを優先させなきゃいけない時期というのはあるのだと思います。家族のことというのはまさにそれ。もちろんみんながみんな、介護で職を失う必要は無いですし、個人的な経験から介護離職は避けられるなら避けたほうが絶対にいいです。

 

でも、ワタシは職を失った状態で介護した身なので、そのことを呪うのではなく、人生上訪れた「仕事より家族を優先させなきゃいけなかった時期」だったんだな、と納得しています。

 

仕事ではなく、介護したからこその成長

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介護とは決してきれいゴトではありません。シモの世話もしなきゃならないし、時には不条理な言葉を投げつけられたりすることもあります。

(病床にある本人が一番辛いことは承知していますが、かといって接している家族の精神的なストレスも同等に考えられるべきだと思います。)

 

そんな生々しいガチの人間勝負の介護というのは、普段の自分の仕事とはまた違った経験であって、さらに、他人ではなく、愛憎こもった肉親のお世話をするというのは、なかなかどうして、自分の人間力を試されていたように思います。

 

自分のキャリアだけ追う人生よりも、別の種類の成長のきっかけが私の場合、介護にあったというわけです。

 

母親問題の落としどころを見つけられた

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巷では娘と母の関係性が色々言われていますが、ワタシの場合も「毒母」とまでいかないにせよ、母親問題では結構悩まされたクチです。

 

しかし、終末期の母の世話をしていると、不思議なもので「かわいいな、こいつ〜」と思えるようになったのが自分でもおかしくなった。

 

介護までは母親に触れることすらほとんどない状態だったけれど、介護となると当然手を引いたり、抱きかかえてトランスしたりするわけで、かなり密着度が高くなります。

 

このスキンシップが知らず知らず雪解けになっていて、自分の中の母を許せない思いを溶かしてくれていた気がします。

 

お金への意識を高められた

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お金の管理が苦手だったワタシ。手に入ればすぐ使ってしまう性分で貯金はいつもごくわずか。幸い母の終末期は少しだけ蓄えがあったので、貯金を切り崩しながら生活していましたが(さらに実家暮らしだったので、それも助かった)、人生何度目かの無職体験は、かなりこたえましたw

 

抗がん剤や入院費用などで毎回何万単位でお金が飛んでいくのを目の当たりにし、さらに葬儀関連でも予想を超える額が要求されることを知り、お金の大切さが身に染みました。

 ワタシ自身もミドルエイジに入っているわけで、今後の病気や不測の事態に備えることの重要性も感じ、経済意識をしっかり持とうと色々勉強を始めることに。

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共済保険、自転車保険、確定拠出年金を始めることにし、まずは貯金からということで毎月の収入から貯金額を決めたり、貯金用の口座を作ったりしました。

 

自分のお金の流れをしっかり整えられるようになったのも、母の介護&無職経験の賜物ですね。

 

(ただ、最近は気が緩んだのか散財傾向にあるので、気を引き締めようと思います)

 

自分で決める力

母が終末期に入った頃、ワタシは日本と海外を行き来する 仕事についていました。海外へ行ったら数ヶ月は現地滞在になることから、ケアマネさんや看護師さんから父ひとりのワンオペ介護の大変さや、ナースの友人からの「その状態ならそう長くはないよ」と言われ、海外へ戻ることへの迷いを感じていました。

 

さらに当時の職場では人間関係も良くない上に、仕事内容も思っていたようなものではなく、かと言って入社して数ヶ月しか経っていなかったことから、たやすく辞めるのも嫌だったり、と頭の中が混沌状態に。

 

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普段ワタシは決断も早い方なのですが、この時ばかりは自分で決めることができなかった。今からするとかなり追い詰められていたんでしょうね。

 

また、母を看取ってから少しして、就職活動を始め、ありがたいことに内定をいただいたのですが、前の職場のトラウマか即決できない自分がいたり。

 

「会社云々ではなく、自分で決められないあなたが問題だ」と信頼している人から指摘を受け、ハッと目が覚めました。

 

自分が仕事でうまくいかなかった上に、母の終末期と死を経験した中で、自分はどれだけ自分自身を見失っていたのだろうか、と。

 

以来、どんな苦境にあろうとも、人に決めてもらうという安易な道を選ばずに、自分で決める心の余裕、冷静さを常に保つことを心がけるようになりました。

 

 不遇な経験が人を育てる

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一連の出来事から1年半ほど経ちました。あの頃のことが嘘のような日々を、現在は過ごすことができています。

 

性に合った仕事、全く問題がない訳ではないけれど許容範囲内の人間関係、たまには笑って毒を吐きながら楽しく飲める人も中に入るので、それはなかなか恵まれた状況です。

 

でも、こうした苦労があったからこそ、今の状況に感謝の思いを忘れずにいられるのです。この経験がなかったら、きっと今の仕事にも不平不満を滔々と述べていたかもしれません。

 

無職状態を経験した身とあっては、月々お金がもらえて、社会保険の保証もあることは、本当にありがたいことですから。

 

また、改めて母の介護&死を境にして、自分のBefore&Afterを考えてみると、やっぱり歴然とした違いがありますね。そう思うと、このタイミングで成長させてもらう機会がいただけたと考えるのがいいのかな。

 

長文になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

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