『スエロは洞窟で暮らすことにした』モノもカネも捨てて究極の自由を手に入れた男の話
こんにちは、貪欲なシンプリストです。
このブログのカテゴリーを「シンプルライフ」系に設定しているにもかかわらず、最近は「欲張りな」自分がフィーチャーされた投稿が多かったですね。
たまにはライフスタイルについてお話しさせていただこうかと。
というのも最近こんな一冊を読んだので。
『スエロは洞窟で暮らすことにした』
何を読んだのかと言うと、こちらの本です。
これ、決して小説ではありません。
実在の方についてのノンフィクションです。
著者のマーク・サンディーンが旧友にばったり再会したことが、この本の誕生のきっかけになるのですが、その友達というのがタイトルの「スエロ」さん。
でもこのスエロって本名ではないんですね。本当はダニエルさんとおっしゃいます。
で、このスエロ=ダニエルさんは、現在はちょっとご家族の事情で実家に戻っていたりしたそうですが、この本が出た当時は、いわゆる住所不定、無収入の身。
★スエロ氏のブログサイトはこちら(図書館のPCで書いていたらしい)
Moneyless World - Free World - Priceless World
リーマンショックで失業してこうなっちゃったの?って思いがちですが、そうではなく自分の意思でお金と社会的身分(ソーシャルセキュリティーってやつですね)を捨てて、一切の経済的活動に参加しない、というポリシーを貫き、広大な砂漠地帯の洞窟で「究極の自由」を手に入れた人物なのです。
砂漠でどうやって生きるんだ?って話なんですが、野生のベリーを食べたり、街に出て賞味期限の切れたものやごみとして捨てられた食べものを拾って食べてるようです。
過去には誤って毒物を口にしてしまい、一人悶絶した経験もあるとか。
似たようにお金を遣わずに生きる人のルポエッセイを過去に読んだことがあります。
お金と縁を切る生き方
ミニマル、或いはシンプルに生きるというと、消費の話とかでお金のことがフィーチャーされることが多いと思うのですが、こういった人たちはお金そのものと縁を切ってます。
ただ、じゃあ、『森の生活』のソローや、それよりも昔の人のように、完全自給自足でいられるかっていうとそうではないし、むしろそういう生き方をする場合、一人孤立してしまうと人間の脆弱性があらわになります。
スエロの話に戻すと、彼の場合はキリスト教原理主義という育った環境と、後年明らかになった同性愛という、セクシュアリティの問題(原理主義において同性愛は許されていない)と家族との関係が複雑に絡み合って、彼の人格を形成しているので、単に「カネなし家なしのライフスタイル実践者」のくくりだけで語ってもいけないのでしょう。
昔見た映画を思い出すなあ。
こちらも実在の人物をモデルにしていて、中流以上の恵まれた家庭に育って、大学も主席クラスで卒業した主人公が「全てうそだ!」と思って、アラスカ目指して、お財布捨てて旅に出る話でした。
究極のミニマリストになれるのか!?
シンプリストとして、おカネなしでどこまで生きていけるのか、というのは興味深いし、food wasteを減らすという意味では意義のある生き方だとは思う。
だけど自分がそのライフスタイルを取りたいかと言うと微妙なところだな。
この手の本や映画を見ていると、究極の自由って、かなり拷問に近いよなって思う。
ある意味宗教的な修業と同じなんじゃないかって思う。
自分にとってぴったりなライフスタイルって何だろう?
ミニマルにまたはシンプルに生きるってどういうことだろう?
お金やモノを持つって何だろう?
改めて色々考えさせられました。
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