貪欲なシンプリストの幸福論

欲張りだけど生き方はシンプルに。そんなワタシが幸せについて考えたいと思う

トルコ料理を食べて思い出す。偏見から自由にしてくれたトルコ人との出会い

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雨のお天気が続いて、一体何日経ったのでしょうか。もはや数えるのを忘れてしまいましたね。寒さこそ少し和らいだ気がしますが、大型台風がやってくるとあって少し心配です。

 

そんな雨の週末。どんより落ちこんだ気分を少しでも明るくしようと、友人で「多国籍料理を味わう会」を発足させ、池袋にあるトルコ料理のレストランへ行ってきました。

 

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世界三大料理の一つとして数えられているトルコ料理、ワタシはすごく好きです。ケバブもフムスも、舟形ピザもどれもおいしい!

 

今回の参加者はみんな海外経験豊富な方々ばかりで、それぞれの海外こぼれ話などが飛び交い、笑いに満ちた刺激的な集まりとなりました・・・って参加者はワタシを含め3人だけですけど(笑)

 

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2名はひたすら飲む担当、ワタシはひたすらバクバク頬張ってたのですが、ふとトルコ料理を味わっていて、まだ海外を知らない学生時代のことをふと思い出しました。

 

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あれはまだ私が二十歳になるかならないかの頃。英語は不得手ではなかったけれど、帰国子女でもなければ留学経験もその予定もなかったくせに、人一倍海外へ出ることにあこがれを抱いていた、ちょっと面倒くさい内面を抱えていた時代でした。

 

せめて今できることをやろうと、海外の人たちと英語でチャットすることにはまったのですが、何せ自宅にPCを持っていなかったので、もっぱら大学のPCルームに入り浸って、慌てて授業に参加したことも(;^ω^)

 

今でも忘れない、英語で様々な国の人たちとリアルタイムで会話をするという感動。

もしかしたらこの体験が、その後の自分のベースになっているのかもしれません。

 

その証拠に一つとても大事な出会いがありました。

 

チャットで仲良くなった人とはメアドを交換して、個人的にメールのやり取りをしたものですが、その中にトルコのイスタンブール出身の人がいました。

 

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メールでは簡単に自己紹介をし合うのですが、彼が最初に書いたのが

 

「今は、ラマダン(断食)の時期なんだ」イスラム教文化圏ならではのトピック。そこから自然とお互いの宗教の話題で盛り上がったのでした。

 

当時、もちろんイスラム教の基礎知識はなくはなかったけれど、恥ずかしながらワタシの中では「ジハード(聖戦)といって、戦争を正当化してるんじゃないか?武装組織も多いじゃないか」というイメージがありました。

 

彼が同年代にしては寛大であったことと、異文化に関心があったことに甘えて、ワタシはその思いを正直にぶつけたのでした。(って相手を批判するという意味ではなく、疑問として問いかけたのです)

 

その時彼は「確かにイスラム=戦争というイメージはある。でもジハードというのは本当は、自分との闘いという意味なんだ。基本的にイスラム教は他者を思いやる教えなんだ」というようなことを優しく教えてくれたのでした。

 

詳しいメールのやり取りは忘れてしまいましたが、彼との会話がきっかけでワタシはイスラム世界に興味を抱くようになりました。少しずつ本を読んだりして知識を増やし、大学4年のときにはアラビア語のクラスを受講してました(笑)

 

イスタンブールのメル友とは数回メールをやり取りしただけで、実はその後連絡が途絶えてしまい今に至るのですが、彼とのオンラインの出会いが自分に与えた影響の大きさを、今改めて感じることがあります。

 

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イスラム圏を取り巻く環境は、残念ながら学生時代のあの頃から、ますます深刻なものになっていきました。9.11、タリバン、アフガン爆撃、そして原理主義の台頭と世界各地で多発するテロ、そしてシリア内戦。加えてミャンマーロヒンギャの村々で行われている軍によるジェノサイドの問題も見逃せません。

 

こういった一連の時事問題を目の当たりにして、多くの人がこんな思いを抱いているのではないでしょうか。

 

イスラム原理主義=攻撃的

 

日本でも、海外でも残念なことにイスラム教に対する風当たりは強いものがあります。

 

だけどワタシはそんなステレオタイプには騙されません。

 

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原理主義のテロリストはテロリスト。ワタシもテロは決して許されるものではないと思うし、テロという手段で主張することは止めてもらいたい。

 

だけど、そのテロリストが「イスラム原理主義だからと言って、「イスラム」文化圏が全て「悪」という考え方はおかしいのです。それとこれは別にして考える必要があるのではないでしょうか。

 

もっと踏み込めば、なぜ「イスラム原理主義が生まれ、彼らがテロリストになったのかを、歴史的、社会的な背景から分析していく必要もあるわけです。

 

先日TEDで元原理主義のテロリスト育成に携わった過去を持つ男性のスピーチを見ました。色々考えさせられるものがあります。

 


Reclaiming Jihad | Manwar Ali | TEDxExeter

 

イスラム文化圏を象徴する長いあごひげや女性のヒジャブ(ジルバブ)、チャドルを見て差別することはワタシはしたくない。

 

でも、ふと思うのです。

 

もし、ワタシが20歳という若い時に、イスタンブールのメル友と知り合っていなかったら、きっと多くのアンチ・ムスリムと同じ思いを抱いていたかもしれない、と。

 

アンチとまではいかなくても「イスラム=暴力的」をいう偏見にとらわれ続けていたかもしれないのです。

 

人との出会いは不思議なものです。

たった2,3回のメールのやり取りで、ワタシはそんな偏見から自由でいられるようになったのだから。

 

そしてそれが大学を卒業してからずっと多国籍な空間で職場で経験を積んでいる自分の礎になっているのだから。

 

実は後日談があって、大学を卒業して1年間、ある目的でお金を貯めるべくフリーターをしていた私は、イスタンブールを訪れる機会を得たのでした。メル友とは連絡も取れず、会うこともできませんでしたが。実際に一つのイスラム文化圏を目で見るいい体験になりました。

 

*少しデリケートな話題になりましたが、トルコ料理のディナーで思い出してどうしても書きたくなったので。飽くまで私個人の内面の問題ということでご理解いただけると嬉しいです。

 

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